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10.30.21:38 コロナで鬱屈した日々 |
なんだか、半年前の状況が妙に懐かしくなって。いまだに感染症は現在進行形だけれども。
あの頃、年度初めでいろいろ計画していたことがすべてひとつ残らずおじゃんになって完全脱力したというか。せっかくの春のワクワクな陽気に対して、なんとも切ない気持ちになった。先の見えない不安やら・・音楽関係はすべて無しになったし。一文無しの丸裸になった気分で。
外に出られないから一日の始まりにメイクするのも本当は要らないのだが、(肌にも負担がかかるからやめとけばいいのに)、メイクしないとどうも生活に気合が入らないというか、生活がだらしなくなる気がして、マスクでも、どこにも行かなくても、ほぼメイクしてたな。それでスイッチを入れるというか。まぁ散歩ぐらいで外に出るのでそのためにも。
毎日、夕方16時過ぎから外に行って、自転車で長距離サイクリングにいって、気晴らししたり。でもその気晴らしに、常にさみしい気持ちがつきまとい。
ちょいと遠出して河原を走っていると、この空の下、日本だけでなくこのつながっている地球上の別の国々で・・・コロナという見えない菌が流行してると思うと、なんてこったいと思って、晴れて天気が良い日で、夕方も天気が良く景色も素晴らしくいいのに、泣けてきたり。
哀しいというか、虚しいというか、やるせないというか。
やる事がいくらでもあるのに、時間があればやりたいと思っていたことすら、なんだろうコロナ禍でやる気がそがれたというか。いくら時間があるからって何でもできるわけではないんだなと。
先行き不安のせいで、時間があるから取り組もうと思ってやってても、虚無感に襲われて。こんなこと今して何になるんだろう、だとか。
結局1カ月半まるまるほぼ仕事がない(週1ぐらい・・・無観客・・)状態が続くことになり、これだけの時間があれば何だってやれると思ったが、やはり人間、意欲、気分の良しあしに左右されるんだなとわかった。ふさいだ気持ちでは、いくら時間があったってそうすすんではできない。
今思い出すのは、やはり夕方の街のフーケイ。
日中は好き勝手出かけるのに気がとがめて。夕方の散歩ならいいかと出ていくが、外は晴れていても全然気が晴れない。心が灰色だったんだよね。食材の買い物もなんだかつまらないし、食事を作ることもけっこう疲れ、生協で頼めば欠品は出るしで。
いま、11月になりかけるところでようやく少し前向きになってきた感じ。音楽活動が制限されたこと、でもそのかわり在宅で使うツールに少し慣れたこと。自分の音と真摯に向き合う時間が取れたこと。収穫はなくはなかった。
コロナ。もうこれは撲滅はできない。完全消滅もない。うまく付き合うしかない。
すごいことになった一年だったけど、自他共に内部変革の時でもあったかな。せっかくだから1カ月半しっかり遊ばせてもらった。長いと思ってたけど、振り返るとやはり短かった。
コロナ禍でもゆるがない目的意識。ってのはちょっと無理だった。
今なら少しノーテンキになれるけど、緊急事態宣言直後からは、コロナ禍の大変な時に目的意識を持って何か別のことを楽しむなんて、なんだか不謹慎な気すらした。目的意識を持って過ごそうとしたけれども、その目的が果たしてコロナ禍で持ってもいい目的なのか、とても自分が軽い人に思えたり、マジメにマジメに考え始めると気持ちがふさいだな。。。。
そういう日々があって今があるんだけど。
あの頃、年度初めでいろいろ計画していたことがすべてひとつ残らずおじゃんになって完全脱力したというか。せっかくの春のワクワクな陽気に対して、なんとも切ない気持ちになった。先の見えない不安やら・・音楽関係はすべて無しになったし。一文無しの丸裸になった気分で。
外に出られないから一日の始まりにメイクするのも本当は要らないのだが、(肌にも負担がかかるからやめとけばいいのに)、メイクしないとどうも生活に気合が入らないというか、生活がだらしなくなる気がして、マスクでも、どこにも行かなくても、ほぼメイクしてたな。それでスイッチを入れるというか。まぁ散歩ぐらいで外に出るのでそのためにも。
毎日、夕方16時過ぎから外に行って、自転車で長距離サイクリングにいって、気晴らししたり。でもその気晴らしに、常にさみしい気持ちがつきまとい。
ちょいと遠出して河原を走っていると、この空の下、日本だけでなくこのつながっている地球上の別の国々で・・・コロナという見えない菌が流行してると思うと、なんてこったいと思って、晴れて天気が良い日で、夕方も天気が良く景色も素晴らしくいいのに、泣けてきたり。
哀しいというか、虚しいというか、やるせないというか。
やる事がいくらでもあるのに、時間があればやりたいと思っていたことすら、なんだろうコロナ禍でやる気がそがれたというか。いくら時間があるからって何でもできるわけではないんだなと。
先行き不安のせいで、時間があるから取り組もうと思ってやってても、虚無感に襲われて。こんなこと今して何になるんだろう、だとか。
結局1カ月半まるまるほぼ仕事がない(週1ぐらい・・・無観客・・)状態が続くことになり、これだけの時間があれば何だってやれると思ったが、やはり人間、意欲、気分の良しあしに左右されるんだなとわかった。ふさいだ気持ちでは、いくら時間があったってそうすすんではできない。
今思い出すのは、やはり夕方の街のフーケイ。
日中は好き勝手出かけるのに気がとがめて。夕方の散歩ならいいかと出ていくが、外は晴れていても全然気が晴れない。心が灰色だったんだよね。食材の買い物もなんだかつまらないし、食事を作ることもけっこう疲れ、生協で頼めば欠品は出るしで。
いま、11月になりかけるところでようやく少し前向きになってきた感じ。音楽活動が制限されたこと、でもそのかわり在宅で使うツールに少し慣れたこと。自分の音と真摯に向き合う時間が取れたこと。収穫はなくはなかった。
コロナ。もうこれは撲滅はできない。完全消滅もない。うまく付き合うしかない。
すごいことになった一年だったけど、自他共に内部変革の時でもあったかな。せっかくだから1カ月半しっかり遊ばせてもらった。長いと思ってたけど、振り返るとやはり短かった。
コロナ禍でもゆるがない目的意識。ってのはちょっと無理だった。
今なら少しノーテンキになれるけど、緊急事態宣言直後からは、コロナ禍の大変な時に目的意識を持って何か別のことを楽しむなんて、なんだか不謹慎な気すらした。目的意識を持って過ごそうとしたけれども、その目的が果たしてコロナ禍で持ってもいい目的なのか、とても自分が軽い人に思えたり、マジメにマジメに考え始めると気持ちがふさいだな。。。。
そういう日々があって今があるんだけど。
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